書展に出品した作品のことである。
完成した作品を最終チェックした段で、文字の一字に間違いを見つけてしまった。草書でかいた「涙」の文字の三水偏の線を二本引いているのである。ふつうは、書き直す。しかし、今回はそのままにしておくことにした。漢詩は杜甫の「春望」。国破れて山河ありではじまる詩は、いまの世の戦の憂いと通じるものとして私は書いた。作品を前にして私は何度もなんども文字を追い、漢詩を反芻した後、「涙」の一字がこの詩全体に通じる言葉と感じたのである。そして杜甫の漢詩ににもう一筋の私の涙を付け加えることにしたのだ。それが理由である。なんとも言い訳がましいはなしであるが、たとえ後付けの理由であっても、自分の書の表現として展示することにしたのである。
書展の会期中、私は「涙」について話しかけられることを待った。展示には私のこの表現については何も提示してない。問われれば、文字についてしかない。しかし4日間の会期中、誰一人として「涙」を問う人はいなかった。少し残念ではあったが、私の中では「表現と誤字」の反芻は続いていた。